おひとりさまが多い社会に必要なもの
今日は曇りで結構涼しい、こういう時はやはり読書。
私はドリップしたてのコーヒーを手に、台湾のラジオを聴きながら、本を読むのが日課。
海外メディアは見た 不思議の国ニッポン (講談社現代新書)を読みました。
とても、面白かったです。
特に勉強になったのは、「遺品整理」という仕事を知ったこと。
おひとりさまが多い社会、遺品整理は必要
おひとり様が多い社会、身内や子供がいなければ、突然「自分がなくなったとき」、おそらく誰も気が付きません。
認知症で自分が誰だか、どこにいるのか分からなくなる、これも人間の死と考えます。
誰かに何かを頼むことできませんし、代理人を立てることもできません。
家の中には沢山の故人の使用したもの・集めたもの、これらをどうするか?悩ましい問題です。
亡くなった後であれば、当然ですが、故人はなにもできません。
まずは、生前にどなたかに依頼しないといけません。
定期的に生存確認していただけるサービスや、遺品処理を生前に予約できるサービス等の増加が考えられますが、亡くなった方との生前契約がどこまで有効なのか?
調べてみると、葬儀の生前予約というものもあるようですね。
しかしながら、それがしっかり履行されるかを確認する人は誰もいません。
いつ履行されるか分からない契約は、その契約した対象の法人の存続が条件です。これも懸念点。
物であれば、捨てることもできるでしょうが、問題は「不動産」
住んでいる物件を生前に売るわけにもいかない、生きている間、住む場所。
リバースモーゲージを日本では余り聞きませんし、価値が落ち続けるものに付ける値段も難しい。
生前に移譲しておかないと、そのまま誰も手出しできない「空き家」がどんどん増える。
調べれば調べるほど、答えが分からなくなる問題です。
そもそも、不動産の放棄ができない現行の法規では、答えはないでしょう。
価値のあるものは欲しい人はいるでしょうが、建物を壊す費用の方が高い負動産を欲しがる人はいません。
ましてや、登記所有権を持つ方が、この世にいない場合、権利の委譲にも困難が生じます。
終わりに:
生きている間に、身の回りの品を全て綺麗に整理、欲しい方に譲渡しておきたい。
「生まれる時には手を握り 亡くなる時には手を広げる」
新生児はこれから社会で必要なものを把握する為、手を握り、亡くなる時はこの世で得たすべてを次の世代に移譲するため、手を広げます。
それでも、「毎日使うもの・住む場所」これは片付けられない。
今の日本の社会を見ていると、本格的に「安楽死」を考える必要があると思います。
人生100年とは言いますが、「自分が誰か分からなくなる」この状態でも”遺品整理”は必要になると思います。
認知症が酷くなれば、誰かの助けなしには契約一つできません。
法的な安楽死があれば、自分の人生の最後が確定しますので、自分の住むところまでの整理が可能です。
亡くなった後に長い期間発見されず、腐乱した状態になる、そんな住まいを次の方に移譲するより、その前の綺麗な状態でお渡ししたい。
もし、自分が認知症と診断されれば、安楽死を予約して、住まいを委譲したいと考えます。