自分の意見や体験をシェアできる社会

本日ご紹介の書籍はこちら。

「助けてが言えない」です。

読み終わって:

私が思うこの問題の本質は「教育」です。

つまり日本型の教育「教師や親が言っていることを聞く」ではなく、「自分の意見を発言すること」を小さい時から奨励する教育に変えていくことだと思います。

 

確かに「権威や教育者」に従順な児童や生徒が育成できるかと思いますが、もうそれでは社会の発展が望めないでしょう。

「自分の意見を述べること」や「自分の積極的な発言や投稿で、社会に対して貢献すること」を是とする世の中であれば、積極的に自分が必要とする助けを求めることや情報提供を行うでしょう。

 

私も長年の海外での教育、勤務と生活で考え方が変わりました。

多言語社会では「自分がしてほしいことや、したいこと」を発言しなければ誰もあなたの事に気を留めません。

初めてアメリカに留学・ホームステイした時に、ホストファミリーが子供に「何をしてほしいの?」「何をしたいの?」としきりに子供の発言を求めているのを見て衝撃を受けました。

小さい時から「自分の意見を発言させること」これこそが教育ですね。

 

外国人労働者も増え続け、社会が多様化しています。

それに伴って発生する問題も、相当に多様化すると思います。

「助けてが言えない」のではなく、助けての種類が多様的になり、言語も多様化するということです。

言語、常識や基礎教育が違う人たちが構成する社会で、それぞれが求める社会サービスも違います。

それを組み上げるには地域ボランティア活動も有効ですが、「ベーシックインカム」がなければ厳しいですね。

 

そしてこちらの書籍が取り上げる最大の課題・触れなければいけない点、「自殺」の問題ですが、医療機関での「基本肯定の面談予約制安楽死」を認めることが良いと思います。

そうすれば、予約に行く際の「専門担当者との面談」の機会が生まれます。

面談の初めに「何で安楽死をしたいのですか?」と一言話せる機会があります。

きっと「金銭的に問題」「将来に希望がない」「いじめがひどい」等、各個人が抱える問題点が理解できます。

助けを求められない人たちから、助けてほしい内容が傾聴できますね。

 

また、「予約制安楽死」があれば、突発的に死を選ぶケースは少なくなるでしょう。

痛い思いをして突然の最期を迎えるより、全ての準備を行った後に、楽に最期の時を迎える方が良いと考えるからです。

 

但し、欠点は予想以上に安楽死を選択する人が増え、人口の維持に問題が発生することかもしれません。

 

私も遠い将来、認知症がひどくなれば、ためらいなく利用いたします。

自分が誰か、誕生日がいつかも理解できなくなるなら、生き続けたいとは思いません。

 

明日は大みそか、年を越すのが苦しい方や、食事に困っている方いらっしゃると思います。

生活保護の申請のやり方がわからない、もしくは申請が通らない方、助けが欲しい方、「助けて」をいう場所がすぐに分かるといいですね。

 

そして、「助けて」が言える場所がすぐに見つかる方法は、過去に申請をして「助けて」もらった方々の発言や経験談かと思います。

「助けて」が言える社会は皆様の協力で構成される、ネット上のデータベースで成り立つものかと思います。(各種「お助け」情報総合サイト、あったらいいですね)

ネット通信料金も併せて、香港程度の料金まで下がることを願っています。

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